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山形地方裁判所酒田支部 平成8年(ヨ)31号 決定

債権者 田林隆明

債務者 医療法人清風会

主文

一  債務者は、債権者に対し、金二〇万九〇一〇円及び平成九年二月から同年一二月まで、毎月末日限り金二〇万九〇一〇円を仮に支払え。

二  債権者のその余の申立を却下する。

三  申立費用は債務者の負担とする。

事実及び理由

第一申立ての趣旨

一  債権者が、債務者に対し、雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

二  債務者は、債権者に対し、金一六万七四四〇円並びに平成八年一〇月から本案判決確定に至るまで毎月末日限り金二〇万九〇一〇円の割合による金員を仮に支払え。

第二事案の概要

一  争いのない事実等(末尾に証拠を掲げた事実は、右証拠により認定した。その余の事実は、当事者間に争いがない。)

1  債務者は、その住所地において、医療法人として「光ケ丘病院」の名称で、精神病院(以下、「光ケ丘病院」という。)を経営している。

債権者は、昭和六三年四月、債務者との間で、雇用契約を締結し、光ケ丘病院の従業員の給与計算事務・社会保健関係の手続事務等に従事してきたものである。

2  債権者は、平成七年七月二三日施行の参議院議員通常選挙(以下、「本件選挙」という。)の際に光ケ丘病院において、補助者として同病院の入院患者の不在者投票の事務を取り扱ったが、共犯者と共に、十分な意思表明のできない精神障害者の投票を偽造し、公職選挙法違反の罪を犯した(以下、「本件犯行」という。)。

3  債務者は、平成八年一月一〇日、2項記載の公職選挙法違反の罪により山形地方裁判所酒田支部において懲役一〇月、執行猶予四年の有罪判決を受け、同月二五日右判決は確定した(以下、「本件有罪判決」という。疎甲三)。

報道機関は、右事件を新聞等により報道した。

4  債務者の就業規則五六条は、従業員が同条の一号乃至二一号の一つに該当する行為のあった場合は懲戒処分にすると規定し、同条九号は「法にふれる行為をした時。」を規定しており、また、同条一五号は「病院の名誉を毀損したとき。」と規定している。

5  債務者は、平成八年九月六日、債権者に対し、〈1〉債権者が平成八年一月一〇日公職選挙法違反の罪により山形地方裁判所酒田支部において本件有罪判決を受けたこと及び〈2〉同罪を犯したことにより債務者の名誉を毀損したことを理由として債務者就業規則五六条九号及び一五号に基づき懲戒解雇する旨の意思表示をし、平成八年九月七日から、債権者に賃金を支払っていない。

6  債務者は、平成八年九月六日、債権者に対し、三〇日分の平均賃金二〇万九〇一〇円を現実に提供したが、債権者が受領を拒絶したので、債務者は、同日、右金額を山形地方法務局酒田支局に対し、供託した。

7  債権者が、平成八年九月分給与として支給を受けるはずであった賃金のうち、支給されなかった金額は金一六万七四四〇円である。

債権者が、債務者から支給されていた直近過去三か月の平均賃金額は月額金二〇万九〇一〇円である。

二  争点

1  債務者の懲戒解雇権の放棄・喪失

(債権者の主張)

(一) 債務者は、債権者に対し、債権者が本件有罪判決記載の罪を犯したことを熟知しながら、債権者が保釈許可された翌日の平成七年一一月三〇日、債権者が従来どおり光ケ丘病院で就労することを承認した。

また、債権者は、本件有罪判決言渡後も本件解雇通知を受けるまで、従来どおり光ケ丘病院で就労していたものであり、また、債務者も債権者の就労を何らの異議なく認めていた。

したがって、債務者は、債権者が前記罪を犯し、本件有罪判決を受けたこと若しくはそのために債務者の名誉を毀損したことを理由とした懲戒解雇権を、本件解雇の当時既に明示若しくは黙示に放棄し、喪失していたものである。

(二) 債権者は、現在、公職選挙法違反(買収)及び詐欺(診療報酬不正受給)の各被告事件で公判中の、債務者の元理事長であり、事実上の支配者である申立外池田康子(以下、「池田元理事長」という。)の公判において、平成八年七月三日、証人として出廷し、右事件について記憶のとおり正直に証言したが、その内容は、結果的に右申立外人に不利な内容であった。本件解雇は、これに対して「懲戒解雇」に名を借りて、債権者に対する報復措置としてなされたものである。

(三) よって、本件解雇は何ら理由のない違法、無効なものであることは明白である。

(債務者の主張)

(一) 債務者が、債権者に対し、懲戒解雇をしない等の意思表示をした事実はない上、債務者は、池田元理事長の公職選挙法違反、詐欺被告事件の公判の事実審理が終了した後、債権者の後任者も目処がついた平成八年九月六日、本件懲戒解雇をしたものであるから、その間、債務者が債権者の就労を認めてきたことをもって、懲戒解雇権の放棄又は喪失と評価されるべきではない。

なお、債権者の池田元理事長の公職選挙法違反、詐欺被告事件における公判廷での証言と本件懲戒解雇とは何の関連性もない。

(二) 債権者が保釈許可された当時はもとより本件有罪判決が言い渡された当時、債務者においては、債権者が自分の仕事に他人を一切関与させなかったこともあり、給与計算事務・社会保険関係の手続事務をすることができる者は、債権者のほかにおらず、債権者を直ちに解雇しては、光ケ丘病院の運営に多大な支障を来すおそれがあった。

また、山形県は、債権者に対する本件有罪判決の後、債務者に対し、保険金請求の届出の不正について監査を行ったが、債務者においては、債権者のほかに保険金請求の諸手続を理解しているものがいなかったため、債権者を解雇し、光ケ丘病院から放逐してしまうと、山形県の調査に対する協力が不可能となるおそれがあった。

さらに、当時、池田元理事長の公職選挙法違反、詐欺被告事件の公判中であったところ、池田元理事長の弁護人から、右事件の手続面で細部に関与していた債権者を解雇することは証拠隠滅ととられる可能性があると注意されていた。

以上の諸事情から、債務者は、債権者の一定期間の就労を認めていたものであり、債権者に対する懲戒権の行使が遅れていたことには相当の理由がある。

2  懲戒解雇権の不存在

(債権者の主張)

(一) 使用者の懲戒権は、労使間の契約にその根拠を有すると解すべきであり、就業規則において、いかなる場合に懲戒解雇権が行使されるかが明確に規定されていることが必要で、列挙された懲戒事由は制限列挙であると解すべきであるし、懲戒解雇事由はその処分を正当化できる程度の重大なものに限られると解すべきである。

(二) 債務者の就業規則は、懲戒処分事由を列挙するものの、いかなる場合に懲戒解雇となるかについては、単に「懲戒行為の軽重によって適用する。」と規定するのみで、それ以上どこにも懲戒解雇事由を明確に規定した条項は存在しない。したがって、本件労使間においては使用者の懲戒解雇権は契約内容化しておらず、債務者は懲戒解雇権を有しないといわなければならない。

3  懲戒解雇権の濫用

(債権者の主張)

(一) 当該労働者の行為が、形式上就業規則上の懲戒解雇事由に該当する場合であっても、使用者は常に懲戒解雇しうるものではなく、当該具体的事情の下において、懲戒解雇処分とすることが著しく不合理であり、社会通念上相当なものとして是認することができないときには、当該懲戒解雇処分は、解雇権の濫用として無効となる(最高裁判所昭和五二年一月三一日判決・最高裁判所裁判集民事一二〇号二三頁、参照。)。

(二) そもそも本件犯行以前から、債務者は、池田元理事長のワンマン体制となっており、債務者の従業員にとって、池田元理事長の命令は抵抗困難な絶対的なものであったところ、債権者は、本件犯行当時、池田元理事長から、投票が困難な重症患者にも代理投票させること及び患者に「阿部候補」への投票を勧誘・誘導するよう干渉することなどを強く指示命令されていた。

他方、債務者の理事は、池田元理事長の行動を監視・抑制し、債務者の健全な経営を実現し、良好な職場環境を整備する義務があったにもかかわらず、池田元理事長のワンマン体制を漫然と黙認し続けていた。仮に債権者の本件犯行により債務者の名誉が毀損され、信用が失墜したとすれば、それはもっぱら池田元理事長の責任であり、また同人の行動を黙認し続けた理事ら債務者経営陣の責任である。

(三) 債権者は、これまで勤勉に仕事に励んできた者であり、その勤務態度には何ら問題はなく、また、保釈後本件懲戒解雇処分を受けるまでの間も従前どおり勤勉に勤務し続けていたものであり、債務者の業務に何らの支障も与えることはなかった。

債権者は本件犯行についての自らの責任を否定するものでは決してないが、以上の事情からして、債権者の本件犯行に基づく本件有罪判決が懲戒解雇処分という極めて重い処分に値するとは到底いえない。

(四) 債務者の従業員の中には、債権者とともに投票偽造の行為に関わった者がいたが、懲戒処分を受けたのは債権者だけである。本件懲戒解雇処分は、他の従業員との均衡を著しく欠くものである。

(五) 以上のとおり、債務者の債権者に対する本件懲戒解雇処分は、社会通念上の相当性を欠き、合理的な理由がないから、解雇権濫用として無効である。

(債務者の主張)

(一) 債権者の本件犯行につき、池田元理事長は、何ら刑事訴追されていない。債権者自身も、また、本件犯行についての公判廷において、「第一病棟の入院患者について本人に全くその意思を確認しないで、勝手に投票したのは私の一存でやったことです。」と、債権者のみの意思で本件犯行を犯したことを認めている。すなわち、池田元理事長は、債権者の本件犯行に何ら関与していないのは明らかである。

したがって、債権者が池田元理事長のワンマン体制等と非難する債務者の経営体制と債権者の本件犯行に基づく責任の軽重とは何の関係もないものであり、債権者の主張は単なる責任のがれ、責任転嫁のためにするものとしか理解できない。

(二) なお、池田元理事長は、平成七年一二月中に債務者の理事を辞任しており、本件解雇当時、債務者法人の理事者の地位にはなかった。

(三) 債権者の本件犯行による責任の重大さ、社会的影響の大きさは決して軽視できないものであり、有罪判決確定後、一年以内になされた本件懲戒解雇は極めて正当であり、債務者の社会的評価の回復のためにも不可欠のものである。

(四) また、投票偽造の罪につき有罪判決を受けたものは債権者以外にはおらず、債務者は、他の従業員の犯罪の成否については捜査権がない以上知りうる立場にはない。したがって、他の従業員との均衡を欠くとの債権者の主張は失当である。

第三争点に対する判断

一  争点1(懲戒解雇権の放棄・喪失)について

1  懲戒解雇権の放棄について

(一) 疎甲一二(債権者の陳述書)によると、次の事実を一応認めることができる。

債権者は、平成七年九月一四日、本件犯行により逮捕され、その後勾留されていたが、同年一一月二九日、保釈を許可された。債権者は、翌三〇日、光ケ丘病院において、当時の同病院院長池田マリ(池田元理事長の長女)と面接した。その際、池田マリは、債権者に対し、「田林さんがいない間、給料のことなどわかる人がいなくて、困っていた。一週間ほど休んでからでも良いから、ぜひ復帰してもらいたい。」と言い、債権者は、「仕事が忙しい時期なのですぐにでも働かせてもらいたい。」と答え、翌日(平成七年一二月一日)から、再び、光ケ丘病院で就労を始めた。

(二) 右の事実によると、債務者が、保釈された債権者の職場復帰を承認したことは認められるものの、それ以上に債務者が債権者に対する懲戒解雇権を放棄したことを認めるには足りず、他に債務者から明確な放棄の意思表示をしたことを認めるに足りる的確な疎明はない。

2  懲戒解雇権の喪失について

(一) 疎明資料によると、債権者が平成七年九月一四日、本件犯行により逮捕され、引き続き勾留されたこと、その後、同年一一月二九日に保釈された後、同年一二月一日から光ケ丘病院の職場に復帰したこと、平成八年九月六日に至って池田マリから債務者による懲戒解雇を通告されたことを一応認めることができる。

(二) 一般に、使用者は、懲戒事由に該当する事実を把握してから、可及的速やかに懲戒権を行使するのが通例であり、労働者にとっても、いつ懲戒処分を受けるのか不明な状態で勤務を継続することは結局集中して業務に従事することをも妨げることになるうえ、法律関係の不安定をも招くものである。

しかしながら、使用者においても、当該懲戒事由を認知した後、事実関係の調査、いかなる懲戒処分を選択するかについての調査、事務分配の調整、業務の停滞を回避するための事務の引き継ぎを図る必要などがあるから、就業規則に懲戒権行使の時間的限界について特別な定めがない場合には、懲戒事由を認知した後、事実の確認その他の調査、調整に必要な相当な期間内に懲戒権を行使すれば足り、それ以上に長期間が経過した後に懲戒権を行使したとの事実は、原則として懲戒権の濫用に該当するか否かを判断する際の一事情として考慮すれば足りると解される。

そうすると、前記認定のように、本件懲戒解雇の通告は、債権者の逮捕後約一年弱、本件有罪判決確定後七か月余り後になされているが、未だこの事実のみで債務者が懲戒権を喪失したとまで解することはできない。

二  争点2(懲戒解雇権の不存在)について

債権者は、懲戒権の根拠を労使間の労働契約にのみ求めた上、就業規則に懲戒事由が規定されていても、いかなる場合に懲戒解雇処分が適用されるかについて就業規則に明確な規定がない限り、懲戒解雇権は存しないと主張する。

しかしながら、就業規則に定める懲戒事由が存するときに、使用者がいかなる懲戒処分を課すかについては、労働者の犯した懲戒事由の程度に応じた懲戒処分でなければならないが、あらゆる場合に対応して、どの懲戒事由の場合にどの懲戒処分を適用するかを定めることは困難であり、使用者側の裁量による部分が残るといわざるを得ず、懲戒処分の選択の基準が明確に定まっていないからといって、懲戒処分の一つである懲戒解雇処分を課すこと自体ができなくなるということはできない。

債務者の就業規則は、懲戒事由として、「法にふれる行為をした時。」、「病院の名誉を毀損したとき。」を(争いがない)、懲戒処分の種類として、五八条において、解雇、停職、解職、降職、減給、昇給延期、戒告の七種類の処分を、それぞれ規定し、これらの各処分は、「懲戒行為の軽重によって適用する。」と規定している(疎甲二)。すなわち、債務者が債権者を懲戒解雇処分に付した理由に該当する事実は、一応、債務者の就業規則に規定されており、従業員に懲戒事由が存するときに、債務者がいかなる懲戒処分を選択するかについての基準についても「懲戒行為の軽重」による旨規定されている。そうすると、使用者たる債務者の懲戒処分選択の裁量に濫用があったか否かについては別問題として、債務者が、懲戒事由が存するときに懲戒解雇処分をもって臨むこと自体を否定する債権者の主張は、独自の主張で採用できない。

三  争点3(懲戒解雇権の濫用)について

1  相当期間経過後の通告

本件有罪判決確定後七か月余り後に至って、本件懲戒解雇の通告をしたことについて、債務者は、相当の理由があったと主張するので、この点について検討する。

(一) 従前、池田元理事長が債務者理事長に就任していたが、債権者が保釈された後である平成七年一二月二三日、債務者の理事長を辞任し、高橋良吉が、同日、債務者の理事長に就任したが、平成八年四月一日、これを辞任した。その後任として、同日、木村二生夫が、債務者の理事長に就任したが、同年六月二〇日には、債務者理事長を辞任し、同日、池田元理事長の長男である池田茂理が、債務者の理事長に就任した(疎甲八の一ないし三、疎甲一二)。

また、池田元理事長の娘である池田マリが、平成元年頃、光ケ丘病院の院長に就任していたが、平成七年一二月二三日、同院長及び債務者理事を辞任した(疎乙八)。

債権者は、前記のように保釈後平成七年一二月一日から職場に復帰したが、その後、平成八年九月六日まで、右の光ケ丘病院の各理事長、理事、院長から、本件犯行あるいは本件有罪判決についての懲戒処分について何ら、事情を聴取されることはなかった。また、山形県が平成八年三月債務者に対し監査を実施した際にも、山形県から債権者が依然として光ケ丘病院に就労していることについて指摘を受けたことはなかった(疎甲一二)。

他方において、池田マリは、既に院長を辞任した後である平成八年五月頃、当時池田元理事長の公職選挙法違反及び詐欺被告事件の弁護人であった大森勇一弁護士に対し、債権者の処分について、債権者は本件有罪判決を受けたことにより懲戒解雇に該当すると思われるが、「母(池田元理事長)の裁判中でもあり今解雇するのが良いかどうか」について相談をした。これに対し、大森勇一弁護士は、〈1〉池田マリの母親である池田元理事長の裁判中であること、〈2〉池田元理事長が起訴された診療報酬の不正請求以外にも診療報酬の過誤請求があると山形県が考えているようなので、事情をよく知っている債権者を解雇すると山形県の監査を困難にさせ、証拠隠滅の疑いをかけられる可能性があることを理由に「もう少し時期をみたらどうか。」と助言した(疎乙八、九)。

債権者は、光ケ丘病院における従業員の給料関係及び社会保険関係の事務を一人で担当していたが、事務職員の事務分担を決定したのは池田元理事長であり、格別、債権者に対し、他の職員と共同で事務を担当すること、あるいは後任者への引き継ぎなどの指示をされたことはなく、これは、保釈後本件懲戒解雇通告までの間も同様であった(疎甲一二)。

(二) 以上の事実によると、債権者の担当業務の適当な代替者がいなかったこと、平成八年三月に山形県の監査の際、社会保険関係の事務の説明をできる職員が債権者しかいなかったことなどは認められ、また、債務者の理事長の頻繁な交替に伴う混乱があったことを推認することができるが、本件懲戒解雇通告までの間に、債権者の本件有罪判決の事情についての調査、検討をした事実を窺うことのできる疎明資料は存しない。

また、本件有罪判決後、相当の期間があったにもかかわらず、債務者が、債権者の後任者を積極的に募集するなどした事実も認められず、債権者に対し、特定の職員に事務の引き継ぎを命じた事実も認められない。

さらに、池田マリは、平成八年五月頃、大森勇一弁護士に懲戒処分についての相談をした事実は認められるが、その助言内容についてみると、診療報酬の過誤請求についての山形県の監査については、既に平成八年三月に一度実施されているのであるから、大森勇一弁護士が助言した同年五月の段階では、その点の監査への影響はそれほど大きいものではなくなっていたと推測される。さらに、債務者は、右の大森勇一弁護士の回答内容を、池田元理事長の公判請求についての証拠隠滅のおそれがあるとの助言を受けた旨主張しているのであるが、明らかに大森勇一弁護士の助言内容を誤解しているものと認められ、池田マリは、公職選挙法違反及び詐欺被告事件の被告人となっている池田元理事長の家族としての立場と光ケ丘病院の職員(前記のように既に院長は辞任していた。)としての立場とを混同しているのではないかとの疑問が生じるところである。

そうすると、債務者の懲戒権の行使が遅れたことについて、相当な理由があったとは認められない。

2  本件犯行自体の評価

(一) 本件有罪判決の判決書(疎甲三)の量刑の理由欄には要旨次のように記載されている。

光ケ丘病院では、従前は、不在者投票に際して、選挙や投票の意味すら理解できない者や寝たきりで自分で記載することのできない者を除いて不在者投票用紙を選挙管理委員会に請求してきており、債権者は、右の事務を担当していた。ところが、池田元理事長は、平成七年七月一三日、債権者に対し、本件選挙に当たっては投票権のある者については、従来除いてきた選挙や投票の意味すら理解できない者や寝たきりで自分で記載することのできない者についても全て投票用紙を選挙管理委員会に請求し、代理投票もするように指示した。債権者は、池田元理事長が本件選挙に立候補した阿部正俊候補(以下、「阿部候補」という。)を強く応援していることを考え併せ、池田元理事長の指示に従い、投票権のある光ケ丘病院の入院患者全員の不在者投票用紙等を請求した。

池田元理事長は、債権者に対し、同月一九日に光ケ丘病院において実施された本件選挙の不在者投票に際して、阿部候補が目立つようにすることを指示し、債権者は、阿部候補の経歴欄を赤色マジックで囲った本件選挙の四候補者が載っている山形新聞のコピーを資料として配置し、また、迷っている患者に対しては阿部候補に投票するよう誘導した。

債権者は、池田元理事長から自ら筆記できない者についても代理投票を行うよう指示されていたが、第一病棟の自ら筆記もできない患者達は投票場所へ連れてくることすら困難で、仮に連れてきても何も書けないことを知り、投票を偽造して代理投票をするに至った。

債権者は、病院内における自己の立場を悪くしないようにとの心配などから各種の投票干渉行為に及び、さらに、代理投票の作業の困難さ、面倒さ、次の会議の予定時間が迫っていたことなどから、勧誘、誘導等の投票干渉行為を超えて、池田元理事長の指示すらない投票の偽造に及んだ。

したがって、債権者の本件犯行は、必ずしも、池田元理事長の支配の下でなされた犯行に留まるものとはいえないものであるが、債権者が、本件犯行に至った遠因としては、やはり池田元理事長の影響を否定することはできず、債権者は、池田理事長の意向を先取りまでして、本件犯行に及んだことを窺うことができ、以上のような事情の他債権者に格別の前科前歴がないことなどを考慮して、債権者に対して、執行を猶予することとされた。

(二) ところで、前記の認定及び疎明資料によると、次の事実を一応認めることができる。

現在の債務者の理事長は、池田元理事長の長男であり、また、現在の光ケ丘病院の院長に誰が就任しているかは不明であるが、本件懲戒解雇処分を通告したのは、当時既に光ケ丘病院の院長を辞任していた池田元理事長の長女池田マリである。さらに、池田元理事長は、平成八年一月二〇日、酒田メディカル・サービス株式会社(以下、「酒田メディカル・サービス」という。)の取締役に就任し、同年六月一一日には、同社の代表取締役に就任しているが、酒田メデイカル・サービスは、債務者の関連会社であって、光ケ丘病院は同社から薬品や医療器具を購入している(疎甲九、一二)。そして、本件懲戒解雇処分の直前である平成八年九月四日に、酒田メディカル・サービスの従業員庄司三春が、光ケ丘病院事務室に勤務している債務者の職員に対し、新しく職員が一人入るので、机の配置を変えるように指示し、さらに、債権者に対し、以後債権者の仕事を一緒にする酒田メディカル・サービスの職員として寺田という人物を紹介した(疎甲一二)。

債務者は、債権者が池田元理事長の公職選挙法違反及び詐欺被告事件に証人として出廷し証言を行った平成八年七月三日(疎甲一二)の後に、債権者の懲戒解雇を決定し(疎乙八)、本件懲戒解雇の通告も、池田元理事長の公職選挙法違反及び詐欺被告事件の審理の終結を待って行われた。

(三) 以上の事実によると、債務者の業務の運営を担当しているのは、基本的に池田元理事長の親族であり、池田元理事長が代表取締役をしている会社の従業員が債務者の事務職員の配置等についてまで、関与していることが十分に窺われるのであり、また、前記のように、債務者の主張は、池田元理事長の親族としての立場の主張か債務者の代表者としての主張か不分明なところが見てとれるところである。以上の事情に鑑みると、債務者の業務の運営については、池田元理事長の支配が強く及んでいたことを十分推認することができる。

そうすると、本件有罪判決に記載されているように、債権者の本件犯行は、池田元理事長の指示に基づくものでないことは間違いないが、池田元理事長の意に沿うように債権者が行動した側面があることが認められ、池田元理事長の支配の元での犯行という特殊事情を窺うことができ、確かにこの点において、債権者に同情することのできる側面のある犯行であったというべきであり、懲戒処分を決定するにあたっては、このことを十分考慮すべきである。

3  他の従業員との均衡

本件有罪判決によっても、債権者の本件犯行には、共犯者がいたことは明らかであり、光ケ丘病院における不在者投票は、限られた部屋の中において、限られた職員によって実施されたのであるから、債務者において、簡単な調査により、不在者投票における投票偽造に関わった職員について把握することは容易であったというできである。

ところが、債務者は、捜査権がない以上事実を把握できないと主張しており、その態度からすると、本件犯行における債権者の共犯者については、全く調査すらしていないことを推認することができる。

そうすると、本件犯行に関わった他の職員については調査すらしていないのに、債権者に対してだけ、前記認定のように本件犯行についての弁解等を聞くこともなく懲戒処分のうち最も重い懲戒解雇処分を選択するのは均衡を害するというべきである。

4  以上の事情によると、債権者は、本件有罪判決を受けたことにより、「法に触れる行為をした」こと、また、この事実が新聞等の報道機関により報道されて債務者の信用を害したことは確かであり、債務者の就業規則に定める懲戒事由に該当することは否定できない。

しかし、債務者の就業規則によると、懲戒行為の軽重によって各種の懲戒処分を課すこととされているところ、懲戒解雇処分は、労働者から収入の途を奪い、また、再就職に当たっても不利益となる最も強力な懲戒処分であるから、懲戒解雇処分を選択するのは、企業秩序の維持上、当該従業員を企業外に放逐しなければならないほどの重大かつ悪質であり、情状の重い場合でなければならないと解すべきである。

そうすると、債権者が本件犯行を職務の執行中に行ったことは間違いないが、不在者投票の補助事務は光ケ丘病院本来の業務というよりは、選挙管理委員会からの委託に基づく側面があること、債権者の本件犯行の遠因には池田元理事長の業務運営上の問題があったこと、本件懲戒解雇の通告を受けるまでの債権者の勤務状況に特別問題があることを示す疎明資料がないこと、本件有罪判決が執行猶予付の判決であって実刑判決ではなく、また、それ以外に債権者に格別の前科前歴がないこと、本件犯行に関わった他の職員の処遇との均衡を考えると、債権者を企業秩序の維持上企業外に放逐しなければならないほどの重大性、悪質性はなく、そこまでの情状の悪質性もないというべきである。したがって、債権者の本件有罪判決に対する懲戒処分として懲戒解雇処分を選択するのは重きに失し、無効である。

そうすると、債権者には、債務者の元で就労して、賃金を求める権利があるところ、平成八年九月七日以降、債務者は、賃金を支払わず債権者の就労を拒絶しているのであるから、債権者には、債務者に対して、賃金を請求する権利がある。

四  保全の必要性について

1  疎甲一〇、一一の一ないし三、疎甲一二によると、債権者が、妻と子供を養っており、債務者からの給料の支払を唯一の収入の途としていたことを一応認めることができる。

しかし、債権者は、本件申立後審尋終了時まで、生計を維持してきたことが認められ、特に過去の賃金の仮払いを必要とする差し迫った生活上の必要性があることの疎明はないので、過去の賃金部分については、仮払いの必要性はないと認められる。

また、債権者の再就職の可能性等、本案事件審理中の将来の事情変更の可能性を考慮すると、審尋を終了した平成九年一月から同年一二月までの期間について賃金の仮払いを認めるのが相当である。

2  なお、債権者は、賃金の仮払いの他にその地位保全の仮処分をも求めるが、地位保全の仮処分は、任意の履行を求めるものに過ぎないうえ、賃金収入の確保のその目的があると認められるから、賃金仮払いの仮処分のほかに、地位保全の仮処分を認める必要性はないと解するのが相当である。

五  よって、債権者の本件申立は、平成九年一月分の賃金として同月末日限り金二〇万九〇一〇円(履行期到来済み)、同年二月から同年一二月までの賃金として、毎月末日限り月額二〇万九〇一〇円の仮払いを求める限度で理由があるので、右の限度で債権者の申立を認め、その余は理由がないので却下することとし、主文のとおり決定する。

(裁判官 塩田直也)

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